今日はアルタナミッションを振り返えろうとおもいます。まだ未クリアの方はブラウザバックしてください。せっかくのミッション。以下はネタバレになりますので、新規や復帰者の方は読まないでください。
私は、並行宇宙という物理学の仮説が真っ先に浮かびました。
物理学、特に量子力学においては、観察者の観察行為自体が、観察結果に影響を与えるという観察者問題が、遡上にあがります。物理学は私の専門の近接領域なので、いつも注視してきましたが、学生の頃学んだこの観察者問題は、今でも何かをする時に気をかけております。みたものが見る行為によって変容する可能性があるということを知ったとき、人間の理性の限界を感じました。
また、相対性理論がまさにそうですが、この世の中に、絶対的なものなどなく、すべては相対的にしか測ることができないという立場。これも理性の限界を感じる理論でした。
この相対性理論の骨組みは、社会学では二クラス・ルーマンの社会システム論での、すべての観察はどの立場(下位システム)から観たのかによって、述べるものが違ってくるというラディカル構成主義の立場につながると個人的には捉えておりますが、違いを乗り越え人々が理解し合う世界をつくる考え方に他ならないのだと考えます。
白き未来と黒き未来。女神アルタナは、流れる血の多さに悲嘆し、神兵とケットシーを遣わしました。アルタナが観測者になってますね。ですから、アルタナミッションは、アルタナ様の介入によって変化した時間を表していることが理解できます。
その結果は、皆様がご存知のようなヴァナディールに至るわけですが、黒き未来にいったあの人がその後どうなったのか気にされる冒険者様もいらっしゃるでしょう。
私もその一人で、フェイス習得クエストで再会はできるものの、ほんのわずかな時間。伝えたい想いを共有するといった当たり前の時間さえありませんでした。
健気なあの人はきっと、かの人の代わりに立派に代役を務め、かの人とは違う鼓舞の仕方でリーダーになっているのでしょうか。
時や場所を隔てて、それでも人は繋がれている。そのことをリリゼットは証明してくれます。
翻って、私達の人生においても同様の体験がございます。それは端的にいうと死別です。
死は共に歩むことをやめ、土に帰っていく生命の定めなのでしょうか?
蛹は、死を別れとはとらえたくないのです。
いのちが循環するこの世界にあって、個体の死とは、個体の消滅ではなく、個体の伝達であると考えたいのです。
いのちあるものは「当然」終わりがあります。でも、そのいのちがのこした「もの」「こと」は、次の世代や残された人の心の中に受け継がれていくのではないでしょうか?
リリゼットは私達が接するヴァナディールとは別のヴァナディールにいきました。そして、その世界でリリゼットがまいた種が育っていくのでしょう。
それは黒き未来を白き未来に変える芽かもしれませんね。
過去は別れましたが、人の意志によって未来は再び統合されるのかもしれません。
様々な可能性が一つの可能性になることを「収束」するといいますが、いつか分かたれしリリゼットがいる世界と同じ未来へとつながるかもしれませんね。
その「再会」を祈り今回のブログの筆を終えようとおもいます。
追記
本当は、アルタナミッションの小説風記事を書こうかと思っていたのですが、「失われた時を求めて」シリーズがまだ未完なこともあり、やめました。
追記2
文章構成の途中で、まちがえて記事をアップロードしましたので、脱字等を訂正。(7月18日)。