再考「FFXIの楽しみ方」。

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1.はじめに

 試験期間の1月が終わり、大学受験シーズン真っ只中を迎えております。この時期になりますと、一人でも多くの受験生たちの努力が報われてほしい。そう願わずにはいられません。今日はある講演会がありましてお話をしてくる予定です。来場者の方に少しでも「来てよかった」と思える内容にしたいです。

 さて本日の記事ではLSの新規参加者様、復帰者様達との遊びの中で感じたことを踏まえ、FFXIの遊び方を再考してみたいと思います。

 

 

2.近況報告

①活動範囲の拡大

 新規・復帰者様達のLSへの加入が増えてきまして、それまで数人だった活動が変わり、一気にやれるコンテンツが増えてきました。アルビオンスカームを始めに、ベガリーインスペクター、ユニティウォンテッド、オーメン、ダイバージェンス・デュミナスといったここしばらく触っていなかったコンテンツでも遊ぶようになりました。装備取りが目的でもありますが、アルビオンスカームを除いて、6人PTの人数制限を受けないこれらのコンテンツは現在の蛹が所属しているLS人数にとっては参加のもれがないたいへん優良なコンテンツとなっております。

 

②6人制限のコンテンツ

 オデシー、桃色狂騒曲、ソーティ、上位BFといった1PT制限のあるコンテンツも、その時いるメンバー様の状況に合わせて毎日とはいきませんが遊んでいます。

 

③イオニック活動

 ぽつりぽつりとLS参加者が増えてきてから始めたイオニック作成活動も、途中から何人も参加合流をして、現在島の隠しの2体目まで終わりました。これから先に控えているギアスNMは強敵揃いですが、今いる参加メンバーのジョブ構成を上手く組み合わせて楽しんで攻略していければと考えています。組み合わせ理論のように、このようなパズルゲームを考えることは個人的には好きな思考実験なので、大いに楽しんでおります。

 

④シーフの神様の登場

 新メンバーでシーフをがんばっておられるJさんという方がおります。この方のトレハン力がすさまじく、オーメン王で2回連続で王の両手装備のドロップ。王の指輪2回連続でドロップ。マリグナス装備2回連続でドロップという「何か強運をお持ち」のシーフさんが以上のような驚くべき成果を上げています。

 

⑤遊びの方針

 「装備がそろっていないから」「経験がないから」「コンテンツにふさわしいジョブがないから」といった理由で、コンテンツ参加をお断りなどはせずLS活動を行っておりますが、どの場面で誰が想像を超えた活躍をするかわかりませんので、予想以上の収穫があった時の喜びは「決められたレールの上」を歩かされるゲームプレイに比べて楽しさが段違いではないかと感じてしまいます。

 

 

3.FFXIの遊び方を再考して

 最先端の装備を追い求めコンテンツ攻略に勤しむことは、蛹も復帰してから常に意識してきました。ですがLSから人がいなくなるたびに、残っていたメンバー様も去っていくことを何度も繰り返す中で徐々に、心が疲弊していったのも事実です。あんなに装備とりを一緒に楽しんで、いざこれから高難関のコンテンツに挑もうという時期にメンバー様がログインしなくなるという事態が何度も繰り返されると、心が折れそうになったこともありました。

 

 ですが、現在のLS活動に参加していて感じるのは、最先端を追求しなくてもFFXIには刺激に満ちた楽しさがあふれているということ。最先端を追求するだけがFFXIの楽しみではないことを理解できました。もしその楽しさを味わえなくなっている方がいるとしたら、もしかしたらそうした方はFFXIにばかり時間を割き、FFXI以外の日常生活から感じ取れる日々の気づきや学びをせず感性が摩耗している可能性があるのかもしれないと感じます。

 

 というのも、ヴァナディールがみせてくれる景色や音は現実の日常生活とは質が異なるものであり、ヴァナディールとは私達にとって「異郷でありかつ故郷」であるからです。この一見矛盾するヴァナディールの定義こそが、私達が長きにわたって惹かれ続けているヴァナディールの魅力の一つであり、MMORPGの特色でもあると考えるからです。つまり日常生活の現実との「差異」がヴァナディールにはあり、この違いがあるからこそ、私達は労働や家事や地域活動といった社会的な場所から「遊離」して、仮想空間を味わうことに価値が生まれてくるという仕組みです。

 

 蛹が所属するLSに参加された復帰者の方で18年ぶりにヴァナディールに戻られた方がおります。ヴァナディールは18年という途方もない時間の隔たりがあったとしても、再び戻ってこられる場所であり続けいているのです。これは本当に驚くべきことではないでしょうか。商業サービスであるFFXIはいつサービスが終わっていたとしてもおかしくはない作品です。それが現在も継続し、長い月日を越えて再びヴァナディールに「冒険者」が集う。蛹はこの事実を想起するだけでなぜだか胸に熱い気持ちが呼び起こされてきます。

 

特に、「石の記憶」の第四章で歌われた

 

「永遠を超えてさしのべられた手と手は


 もう、放されることはない


 もう、ほどけることはない」

        

(引用:「FF11用語辞典」様」:「石の記憶/ネタバレ」より)

 

 この歌詞こそが今年の5月に23周年を迎えるFFXIがたどり着いた「冒険者」が見ている景色を言い表しているのではないでしょうか。

 

 私達は永遠には生きられません。でも瞬間瞬間に生きています。瞬間に生き続けることを繰り返すことで、私達は時間という「川」を越えて永遠というたどり着けそうにない「彼岸」にたどり着けるのかもしれません。

 

 

 

「ウィンダスの守護者は私達にヴァナディールを託し、長い歳月を経ても私達はその遺志を受け継いでいる」

 

 

 

 

 

 

 

追記

・誤字脱字訂正。(2025年2月11日、12日)

・絵を挿入。(2025年2月12日)

 

・昨日の講演会を通して。人の心になんらかのともしびを灯らせることもまた愛と呼べるに値するのだと理解できました。その精神性を体現した音楽が名曲"The Rose"なんでしょうね。